年寄名跡の異動
明治22年1月より大正15年までの年寄の引退・襲名や名跡変更、廃業や退職・死去について。
明治22年(1889年)~明治45年(1912年) |
大正元年(1912年)~大正15年(1926年) |
明治34年の年寄連名 |
明治39年春場所 |
大阪相撲 |
巡業番付の年寄 |
番付には江戸時代まで上位2人、その後も勝負検査役、願人(勧進元)などが掲載されているのみで、番付に全年寄が掲載されるようになったのは明治39年春場所からである。それ以前は数年おきに発行された年寄連名や巡業番付による情報のみである。本場所開催の際には全年寄名が書かれた御免札が場内に掲げられたが完全な形で残るものはなく、書き写されたものが数場所残るのみである。
明治時代であると資料不足で現役名すら不明の年寄もおり消息を調査するのは困難で、大正中頃でも消息不明の場合がある。
昭和以降の情報は充実しており、ひとまず明治22年の東京大角力協会発足よりの年寄異動記録を掲載してみたい。
年寄関連の年表
参考資料
雑誌月刊『相撲』連載 『年寄名跡の代々』 1989年~2007年
『激動の昭和スポーツ史』相撲 上・下各巻
相撲協会発行の本場所番附表