勝負検査役

江戸時代、相撲会所時代は中改めと呼ばれ、明治22年東京大角力協会設立で勝負検査役と改称。昭和43年の機構改革で審判委員に。

勝負検査役は選挙によって選出され準幹部であった。東関(太刀山)は検査役選挙で落選し廃業した。

かつて取締が検査長(現在の審判長)を務めていたが昭和31年夏場所より廃止し、検査役5人の合議制となった。

勝負検査役一覧 昭和15年~昭和43年

勝負検査役一覧 昭和43年~

木戸部長・桟敷部長

木戸部長・桟敷部長は明治時代からの役職。元十両の年寄でも就任している。昭和31年木戸主任、桟敷主任と改称。現在の主任と異なり末席の幹部であった。昭和43年の機構改革で主任の階級ができ昭和47年に木戸主任・桟敷主任の名称は消滅?

 

木戸部長・桟敷部長一覧

参与

相撲協会の年寄の階級。昭和43年の機構改革後は委員と主任の間だった。委員は当初、理事経験者や元横綱、大関などで任命が少なかった。戦後すぐは理事や検査役経験者が就くことが多かった。その後は病気療養中の年寄が多く、無任所が多いが稀に部付き(例:巡業部参与)となることもあった。病気療養の年寄でも参与に任命されなくなったため、徐々に減少し平成8年の音羽山(若ノ海)の停年退職後は参与はゼロで、平成19年に廃止されたが、平成26年に再雇用制度創設で復活。

参与一覧

相撲協会の階級

かつては理事、監事、勝負検査役、木戸主任、桟敷主任以外はすべて年寄であった。平年寄で退職する年寄も多かった。

昭和43年の機構改革で委員、参与、主任、年寄といった階級が制定された。かつては委員の数は少なく準幹部のような扱いで主任、年寄が大半であった。昇格しても主任止まりも多かったが昭和60年頃より委員が増加し、引退後7年程度で委員となる年寄が多くなった。

inserted by FC2 system