大阪相撲

大正15年に消滅した大阪相撲について

大阪相撲は明治2年3月に縦一枚番付、明治5年より再び横二枚となり明治31年11月より縦一枚番付に


大坂相撲の状況は泉林八氏(元22代木村庄之助)が詳細に話しているので要約する。

「実力が落ちていたのは、稽古不足。稽古場を持たない部屋のほうが多かった。17ぐらいあっても7部屋くらい。私が入ったころ(明治31年)はもっと多かったが、この頃は部屋と言っても名ばかりで狭いもんだから旦那衆の家を転々として泊まり歩いていた。大阪力士はすぐミツを欲しがる。東京は押しと突きで一気に持っていかれる。稽古が足りないから粘りにかけてもろかった。叩かれても残せないで落ちる。(宮城山が期待されたかという質問に)よくやったほうだ。(平錦について)初め大阪で途中で東京に走り幕下の時戻ってきた。下の頃から宮城山と争うほど期待されてきた。四つ相撲で左差し前捌きもうまかった。足腰がいいから吊りでも何でも。かいな力もすごかった。(今の力士で言うと)貴ノ花、背は高くないが骨組みが太くてがっしり。(宮城山の東京に対抗できるのは二人ぐらいか)鳥海は五分だがそんなに強くなく、朝日嶽がわりと強かった。二瀬川は立ち合いが上手かったが全盛期を過ぎていた。大阪は小染川が大正10年に引退してから極端に寂れた。紛擾事件でますます衰微していくんだ。」

明治期より東西合併相撲が開催されてきたが大阪方が健闘していたのは明治30年代前半頃まで。その後は実力差が開く一方で若島、大木戸がほぼ互角のみ、大錦も東京では厳しかった。

大坂相撲頭取名跡の襲名、廃業、死去一覧

大阪相撲は現役名を名乗る一代頭取が多く、東京相撲のように代々伝承される名跡が少ない。東西合併時点で17家、鏡山と一代年寄の荒岩が東京相撲へ加入。死去時点で廃家となった。

行司

大阪相撲は行司の平均年齢も若く、引退も早かった。階級は曖昧で抜擢も多かった。


若者頭・世話人

東京に加入した八島山と玉ツ嶋は巡業での給金制度に不満を感じて廃業したようだ。大坂相撲では金銭面が緩く若者頭が給金をごまかし懐に一部入れていたとか。若者頭はM42.1より記載、M44.2限り消える。

若者頭
在籍期間
東国 豊吉 M38.6 M41.1
岩柳 太三郎 M40.6 M41.1 十1 世話人
播磨川 熊五郎 M40.6 M43.1
滝ノ海 調太郎 M42.1 (M44.2) 年寄三保ヶ関
有馬山 松太良 M43.5 M44.9 現役復帰
力熊 源八 T2頃 (T6)
武蔵野 松之助 (T6.5) T15.1 十両1 東京加入せず
玉椿 光太郎 (T6.5)  十両
硅ヶ峰 T7.5  前11 T5.1鳴門岩で入幕
鳴戸岩 久吉 (T10)  T14.1 硅ヶ峰と同一か?東京加入せず
八島山 吉五郎 (T12.6)  S5 東京加入
玉ツ嶋 光之助 T15.1 S5 東京加入

大阪相撲の世話人は準年寄のような格で、明治期まで頭取となることが多かった。江戸時代までは上位力士でも世話人を経験後、財力、興行能力などから選抜され頭取に昇格することが通例で、世話人で終始することもあった。東京相撲の世話人とは位置づけが異なっていた。

世話人
在籍期間(確認可能な場所) 備考
真竜 M32 - 幕内
平ノ戸 三之助 (M36) 
東雲 喜十郎 (M36) 
羽根石 保三郎 (M36) 
荒虎 M36 - 幕内
M36 - 幕内
剣坂 M40 - 幕内
沖ノ浜 為吉 M39.5  T2.5 T2.7.9没
陣立 滝三 M41.1  T5.5 呼出しより のち頭取・湊
熊勇 三吉 T2頃
白川 M41 - 幕内
湊川 T4 -
旅順口 T4 -
三ッ車 藤吉
力岩 仁吉
都賀の  T7頃
玉手石 秀吉 T7頃 T15.1
葛城山 信治郎 T7 T15.1 前10 朝日山 M42.1朝嵐で入幕
荒鬼 T7 
三保ノ浦 重太郎 T7頃 T15.1
大ノ松 由治郎 (T12) T15.1
都賀ノ里 金司 (T7) T15.1
釘貫  (T7)
●ノ松 ●太郎 (T7)
岩ノ江 福松 (M44) T15.1
三角石 吉太郎 (T12) T15.1
今井潟 捨吉 (M36) T15.1
●戸川 (播戸川?) (T12) T14.1
正木の (T12) T14.1
加州山 (T14.1) (T14.1)

世話人は東京相撲では本場所番付に記載されず東京加入か不明

M2.3 M39.5 M44.1 T2.5 T6.5 T10.1(襲名興行) T12.6 T13.1 T13.5 T14.1 T14.6 T15.1
世話人  朝男山 朝男山 朝男山 朝男山 岩ノ江 (東)三保ノ浦 重太郎 三保ノ浦 三保ノ浦
菊ヶ濱 八尾ヶ関 八尾ケ関 岩ノ江 八●● 葛城山 信治郎 葛城山 葛城山
岩ノ江 岩ノ江 八尾ヶ関 葛城山 大ノ松 由治郎 朝日奈
八尾ヶ関 若錦 若錦 都賀ノ里 大ノ松 都賀ノ里 金司 大ノ松 大ノ松
岩の江 深川 早虎 若錦 都賀ノ里 ● 甫 玉手石 玉手石
重石 若竹 若竹 三ッ車 朝日● 玉手石 秀吉 都賀ノ里 都賀ノ里
若錦 駒勇 岩柳 今井潟 三角石 (西)岩ノ江 福松 西方)岩ノ江 岩ノ江
若竹 黒錦 黒錦 三角石 玉手石 三角石 吉太郎 三角石 三角石
●川 山万 今井潟 梅ヶ枝 今井潟 今井潟 今井潟 今井潟
山● 早虎 熊勇 加賀石 ●竜 鳴戸川
熊勇 今井潟 都賀ノ里 栄竜 播戸川 正木ノ
羽根石 熊勇 熊ノ浦 玉手石 正木ノ 加州山
黒錦 都賀ノ里 ●阪 播戸川 ●●山
葭ノ浦 三ツ車 早虎
山万 岩栁 平錦 不明
東雲 平錦 朝比● 西嵐
今井潟 陣立 釘貫
早虎 不明 旅順口
熊勇 三角石 不明
力岩
都賀ノ里 栄竜
大倉山
平錦 村雲
橋本政吉(太字) 沖ノ濱
加賀岩
若者頭 有馬山 武蔵野 武蔵野 武蔵ノ 武蔵ノ 松之助 武蔵ノ 武蔵ノ
玉椿 鳴門岩 鳴戸岩 鳴戸岩 久吉 八島山 八島山
八島山 八島山 吉五郎 玉ツ嶋

●は不明部分

T14春の番付には玉ツ嶋 光之助(のち若者頭)が東幕下下位に見える。

参考資料

大阪相撲の本場所番付、巡業番付

読売大相撲 昭和40年6月号

月刊相撲 昭和55年1月号

月刊相撲 連載 『年寄名跡の代々』

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