現役場所数

昭和50年夏場所龍虎が右アキレス腱を断裂し引退。46.11左アキレス腱を断裂し3場所全休、幕下42枚目まで陥落しながら再起し50.1には小結に戻った。龍虎は32.1の初土俵で北の富士と同期、現役18年半、初土俵から数えて110場所だった。これまでの記録は相内(元十両四季ノ花)の107場所で、龍虎は49.11に追いつき50.1に108場所と更新、さらに2場所伸ばすこととなった。龍虎の引退で最古参となったのが福の花。33.1の初土俵で17年半106場所現役を務めている。51.3には龍虎に追いつき、51.5で111場所となる。(※50.11に108場所で引退)現役80場所以上には50.7まで59人を数えるが100場所以上は龍虎を筆頭に8人だった。

最高位 幕内 十両 幕下 三段目 出場回数
110 龍虎 32.1~50.5 小結 36 10 39 25 1074
107 相内 30.1~48.7 十13
高鉄山 32.3~50.1 関脇
108 福の花 33.1~50.11 関脇
105 北の富士 32.1~49.7 横綱
103 清国 31.9~49.1 大関
102 大文字 31.3~48.7 前5
100 大麒麟 33.5~49.11 大関

初の80場所は出羽錦

年2場所制の時代に80場所は到底無理で年3、4、5場所と増えても10.1~34.1まで24年間現役だった若瀬川も68場所が最高であり、現役80場所は年6場所が定着してからの記録である。初めて80場所の到達したのは出羽錦。22.11入幕以来幕内を維持し丸15年の37.11に80場所、39.9に91場所を記録。戦前派で80場所を超えたのは他に星甲ノ84場所(17.5~39.5)だけであった。

鶴ヶ嶺・相内・龍虎が更新

出羽錦の記録を更新したのはもろ差し名人の鶴ヶ嶺。22.6初土俵を踏み42.192場所の新記録、42.7引退で95場所まで伸ばした。丸20年で出羽錦の24年より少ないが場所数の増加によるもの。記録は長く保持されたが46.9幕下の相内によって更新された。相内は十両5場所務めたのち39.7から幕下に居り主のような存在で47.5史上初の現役100場所に到達、107場所まで伸ばした。十両止まりで80場所以上も代官山に次いで2人目であった。

現役80場所以上で幕下以下は昭島と秀成山の2人。(※昭島は51.1、101場所、秀成山は51.1、100場所で引退)

参考 読売大相撲 昭和50年8月号 「異色調査」

その後

50.5当時現役では白田山97場所、長谷川・牧本93場所、栃東89場所と続いていた。白田山が107場所までのばし52.5引退、牧本はさらに伸ばし51.9に100場所、53.5に110場所で龍虎に並び、龍虎の記録を53.7に抜き、55.5に丸20年120場所を達成。57.11の137場所まで現役であった。引退時41歳、連続出場1073番、幕下以下121場所の在位記録を残した。牧本は幕内1場所、十両14場所を務めたが48.1より幕下にあり幕下57場所、三段目3場所で当時としては異例の40歳過ぎまで粘り強く現役を務めた。57.1141歳3か月で幕下昇進も当時の記録であった。

55.11終了時 最終場所数
牧本 35.3~ 125 137
大潮 37.1~ 114 156
富士櫻 38.3~ 106 132
高見山 39.3~ 101 122
黒姫山 39.3~ 101 108
青葉城 39.3~ 101 134
玉輝山 39.5~ 100 118

その後に抜いたのが大潮で37.1初土俵、44.11十両、46.9入幕と比較的順調であったが幕内定着に苦労し9回の入幕で勝ち越し1回、幕内維持も最大3場所。51.310回目の入幕でようやく往復から脱し小結まで昇進した。その後54.1陥落、1場所で入幕したが怪我の休場で54.7幕下、54.11十両復帰、56.1に再入幕し57~58年にかけて上位で横綱大関を破っている。その間に現役場所数も増え、58.9に130場所を平幕で迎え、59.11十両で牧本に並ぶ137場所、60.1138場所と記録を更新、その後も十両を長く保ち62.5幕下陥落したが1場所で復帰、63.1幕下1で負け越したところで引退。現役26年156場所の大記録が生まれた。

大潮のほかにも120場所以上の力士が続々現れた。昭和~平成初期までの主な記録(幕下以下の110場所以上も)

亀山 46.1~5.7 136 下11
青葉城 39.3~61.7 134 関脇
富士櫻 38.3~60.3 132 関脇
玉龍 45.1~4.1 132 小結
魁輝 40.9~62.3 129 関脇
麒麟児 42.5~63,9 129 関脇
巨砲 46.5~4.5 127 関脇
霧島 50.3~8.3 127 大関
大竜 51.5~9.7 127 十4
蔵間 43.9~1.9 126 関脇
星岩涛 45.5~3.1 125 前14
千代の富士 45.9~3.5 125 横綱
高見山 39.3~59.5 122 関脇
蕨川 42.11~63.1 120 下10
飛騨の花 44.3~1.1 120 前1
玉輝山 39.5~59.3 118 小結
大玄海 43.5~62.9 117 下36
大乃浦 50.5~7.1 117 下44
大徹 46.7~2.9 116 小結
琴椿 51.3~7.3 115 前3
鷲羽山 42.3~60.11 112 関脇
太擁 42.11~61.9 112 下17
魄龍 44.11~63.5 112 十1
鳳凰 46.9~2.5 112 関脇

平成期になると40歳以上の力士も増え現役場所数も続々更新された。昭和50年に2人だった30代後半、現役20年力士は関取でも多く下位力士では珍しくなくなり、150場所以上も増えた。昭和63年以来長く大潮の記録がトップであったが、大潮以来150場所を超えたのが元十両の琴冠佑。17.11に幕下で150場所を記録、155場所まで伸ばしたが18.9に暴行問題で急遽引退となってしまった。その後元十両の栃天晃が19.1に150場所、20.3に157場所で大潮の在位記録を20年ぶりに抜いた。栃天晃は記録をさらに伸ばし175場所で引退。44歳、最高位十両以下で最多の647勝を挙げた。その後昭和61年初土俵の3人が頑張り、華吹・北斗龍が27.7に176場所、29.7に北斗龍の引退により単独トップとなり1.7に200場所到達、214場所まで伸ばしている。

幕下
214 華吹 61.3~
186 北斗龍 61.5~29.3
175 栃天晃 57.3~23.5 114
174 出羽の郷 61.5~27.5 70
170 天一 5.3~ 81
輝の里 5.3~
169 富士の風 5.5~
165 澤勇 4.7~
164 剛力山 6.3~
潮来桜 6.3~
159 笠力 61.3~25.1
郡山 62.3~25.9 81
158 翔傑 7.3~ 74
魁ノ若 7.3~
越ノ龍 7.3~
156 旭光 4.3~30.1
芳東 8.1~
聡ノ富士 8.1~
155 琴冠佑 56.3~18.9
155 伊勢ノ花 5.3~31.1
大雷童 8.3~

関取経験者のみの現役場所

175 栃天晃 57.3~23.5
156 芳東 8.1~
140
寺尾 54.7~14.9
魁皇 63.3~23.7
旭天鵬 4.3~27.7
若の里 4.3~27.7
138 北桜 62.3~10.3
136 水戸泉 53.3~12.9
135 安美錦 9.1~1.7
132 豊桜 1.3~23.5
130 琴ノ若 59.5~17.11
127 鳥羽の山 5.11~27.1
121 白鵬 13.3~3.9
120 春日錦 3.3~23.1
119 北太樹 10.3~30.1
115 琉鵬 5.3~24.5
115 鶴竜 13.11~3.3

年2~4場所制の時代の現役場所数

出羽錦が初の80場所到達力士であるがそれ以前には誰が長寿力士だったのか。昭和32年に幕下以下の足切り制度が創設され初土俵から20場所以内に幕下昇進できなければ養成費支給停止とすると決定される。これ以前は戦前・戦中初土俵の力士が幕下以下にも存在し、20年に達する力士もいた。

昭和32年1月場所終了時の場所数。昭和15年以前初土俵の力士。応召期間があり初土俵からの場所数より少ない力士も多い。

現役場所数 力士名 最終場所数 期間
57 若瀬川 68 10.1~34.1
53 大幡山 55 12.1~32.5
52 三根山 69 12.5~35.1
49 那智の山 54 12.5~33.1
40 幡昇 41 13.1~32.3
50 二瀬山 53 13.5~33.5
43 小野錦 61 13.5~35.3
42 吉葉山 47 13.5~33.1
49 鬼竜川 72 14.1~36.1

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