横綱初挑戦
明治中頃まで番付は大関が最高位で横綱は称号であった。横綱が初めて番付に載ったのは明治23年5月の西ノ海、その場所4日目の平ノ戸から50年7月の青葉城まで496人が対戦している。そのうち275人は現役中横綱から最低1度は白星を挙げたが221人は横綱戦勝利なく終わっている。また83人は一度のみの対戦(直近の吉の谷、吉王山、大旺等)で秀の海(明治32.6の八陣)、陣幕(大9.6の大錦)、大泉(大11.5の宮城山)、二瀬川(大正11.5、宮城山)の大阪力士は引き分け、平石(明治33.6の八陣)は無勝負に終わっている。白星ゼロで対戦最多は大邱山の15敗、大雄14敗、嶋錦13敗と続いている。
(参考)読売大相撲 昭和50年10月号 「異色調査」より
昭和51年以降の横綱初挑戦
昭和51年1月以降令和3年9月まで224人の力士が横綱と対戦経験がある。51年1月の青葉山vs輪島に始まり3年9月の琴ノ若vs照ノ富士までである。そのうち1度きりで終わったのが大登(52.5)、琴千歳(56.9)、藤ノ川(61.7)、薩州洋(63.3)、富士乃真(元.9)、時津洋(5.7)、春日王(19.3)、白馬(22.7)、徳瀬川(22.9)、佐田の富士(27.9)、旭秀鵬(28.1)、千代丸、炎鵬、翔猿、琴恵光、豊昇竜、琴ノ若の17人。最も旭秀鵬、千代丸、炎鵬、翔猿、琴恵光、豊昇竜、琴ノ若は現役なのでこれから2度目の対戦があり得る。また2~4横綱がいた時代は複数の横綱と対戦が多く、1度きりで終わることは稀であり、これらの記録は1人横綱の場所で唯一の上位経験となったパターンが多い。
めでたく初挑戦初白星を挙げたのは北天佑(56.3の若乃花)に始まり17人。朝青龍白鵬の無敵ぶりもあってか(特に朝青龍は初顔34連勝で引退、白鵬は29.1の貴ノ岩戦まで玉錦に並ぶ28連勝)平14.7の霜鳥vs武蔵丸以来長くなく、平26.7の大砂嵐が久しぶりの初挑戦初勝利(金星)となった。その後鶴竜は4度も初顔での金星配給を喫しており横綱としては中より下と言わざるを得ない。
このうち初挑戦から連破したのは北天佑、孝乃富士、大砂嵐、阿武咲、友風の5人。北天佑、孝乃富士の場合北の湖、千代の富士、北勝海とは同部屋で対戦がなく間隔があるのが達成にプラスとなった。平10.3の敷島も貴乃花連破で知られてるが同場所に曙と対戦し敗れているので連破には当たらない。
この10年で大砂嵐、阿武咲、友風と3人出ているのは横綱の威厳が下がっていることを示すだろう。大砂嵐は同場所の白鵬戦、阿武咲も稀勢の里戦で敗れており3戦連続勝利とはならなかった。友風は翌場所大怪我で序二段まで番付を落とし3戦目はストップしている。逸ノ城は新入幕での勝利である。
2度目の横綱戦 | |||||
北天佑 | 56.3 | 若乃花 | 56.9 | 若乃花 | ○ |
飛騨乃花 | 56.11 | 北の湖 | 56.11 | 千代の富士 | ● |
孝乃富士 | 61.9 | 双羽黒 | 62.9 | 双羽黒 | ○ |
益荒雄 | 62.1 | 双羽黒 | 62.1 | 千代の富士 | ● |
貴闘力 | 2.11 | 大乃国 | 2.11 | 千代の富士 | ● |
若翔洋 | 5.3 | 曙 | 5.5 | 曙 | ● |
魁皇 | 6.3 | 曙 | 6.5 | 曙 | ● |
小城錦 | 6.3 | 曙 | 6.5 | 曙 | ● |
敷島 | 10.3 | 貴乃花 | 10.3 | 曙 | ● |
千代天山 | 11.5 | 若乃花 | 11.5 | 曙 | ● |
霜鳥 | 14.7 | 武蔵丸 | 14.9 | 貴乃花 | ● |
大砂嵐 | 26.7 | 鶴竜 | 26.7 | 日馬富士 | ○ |
逸ノ城 | 26.9 | 鶴竜 | 26.9 | 白鵬 | ● |
北勝富士 | 29.7 | 鶴竜 | 29.7 | 日馬富士 | ● |
阿武咲 | 29.9 | 日馬富士 | 29.11 | 日馬富士 | ○ |
錦木 | 31.1 | 鶴竜 | 31.1 | 稀勢の里 | □ |
友風 | 1.7 | 鶴竜 | 1.9 | 鶴竜 | ○ |
また複数回対戦ながら白星ゼロで終わったのは、224人中59人。その内魁聖、千代翔馬、輝、豊山、竜電、隆の勝、霧馬山、若隆景は現役である。未勝利の最多記録は魁聖(平24.9~)の37連敗を筆頭に闘牙(平10.11~平15.1)の29、青葉山(昭51.1~昭56.1)の28、豊真将(平19.5~平26.7)の22、高望山(昭58.9~平元.5)の17と続く。闘牙、青葉山が5年程で30連敗直前となったのは3~4横綱時代と重なっていたことも大きい。共通するのは大関戦勝利はしばしばあるが横綱には歯が立たないため平幕上中位を往復していたレベルの力士ということだろう。